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アニマルライツについて


アニマルライツとは?
動物愛護との違いは?
動物福祉との違いは?
宗教ではないですか?
動物のことよりも先に取り組むべき人間の問題があるのではないですか。

植物の権利は?

権利は義務とセットだと考えているので、アニマルライツは認められない。

 

アニマルライツとは?

この自然界では、いろいろな動物や植物がお互いに影響しあいながら生活しています。微妙な自然界のバランスを人間の身勝手な行為によって破壊してはなりません。全ての生き物は、等しく、この地球に生きる権利を持っているのです。動物たちには人間から虐待や搾取されず、自然の生活をする権利があります。
基本的人権の尊重と同様、動物にも動物らしく生きる権利が尊重されるべきであり、種によってその権利は左右されるべきではありません。

「人の利益が優先されるのは、人は理性を持っているから・他の動物を能力的に上回っているから・言葉を話すことができるから・etc.」と言う発言は、人の利益や搾取の現状を維持・正当化し、他種の動物の利益を犠牲にするために使われてきました。
しかしそれは種差別(スピーシズム)と呼ばれるものです。皮膚の色や性別の違いがいのちの質にとって重要でないのと同様に、毛の長さや形の違いも重要ではないのではないでしょうか。また、人間であろうとなかろうと精神的にも肉体的にも苦痛を感じます。

アニマルライツ運動は、人に与えられる基本的な権利の枠を、種の壁を越え、動物にまで広げ、理由をつけて動物を使ったりせず、同じ地球に生をうけた生物として、他の仲間に対して、その権利を保障しようという運動です。

動物愛護との違いは?

動物愛護は、動物に関心の強い人が、動物への虐待や非倫理的扱いなどから動物を守ることです。愛護という言葉は、その対象物を好きか嫌いかという人間の感情をもとにした言葉です。一方、動物の権利運動は、好きか嫌いかが問題なのではありません。例え動物が嫌いであっても、人間という種に属さないという理由で、その動物の生きる権利を奪うことも、その動物を虐待することも倫理的には許されないという考え方です。

現在日本では「動物愛護」という言葉が多用されていますが、聞こえのいいその言葉は、しばしば動物を搾取し動物の権利を奪うことを正当化するためにも使用されます。例えば日本の犬猫の殺処分施設は「動物愛護センター」の中に作られています。また、動物実験を行う人も、動物を商品として売買している人も「動物愛護精神をもって」動物を利用しつづけます。
動物を搾取する現状を維持するために、その現状をオブラートに包むための言葉として使われることもあることを市民は認識しておく必要があります。

動物福祉との違いは?

動物の福祉は、人が動物を利用することは否定せず、しかし、よりよい扱いを求めることです。アニマルライツ運動のように人が動物を搾取し利用することを否定するものではありません。 動物福祉という言葉もやはり動物を利用する立場の人によっても多く使われています。

宗教ではないですか?

宗教ではなく、倫理観の問題です。
宗教の定義:(三省堂辞書)
(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。
(2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。

一方、アニマルライツとは前述したとおり、種差別をなくし動物たちには人間から虐待や搾取されず、自然の生活をする権利があるというものです。

これら2つの定義には明らかな違いがあることが分かると思います。
動物の権利運動は、何かを信じて自らの安らぎを得ようとする運動ではなく、またあがめる対象があるわけではありません。

動物のことよりも先に取り組むべき人間の問題があるのではないですか。

この質問は種差別を元にした考え方からくるもので、アニマルライツの考え方とは異なるものです。人権は大切です。そしてそれと同様に動物の権利も大切だと主張しているのであって、比較するものではありません。

動物の権利を認めれば、人は生きていけないのでしょうか?
女性の権利が認められたとき、男性は暮らしにくくなったでしょうか?

動物の運動は、人を否定するものではありません。人か動物か二者選択をせず、動物と人が穏やかに共存できる社会を目指しています。

植物の権利は?

虐待とは、精神的苦悩と神経による痛みです。植物には痛みを感じる神経がありません。自然の権利として捉えるべき問題です。

ただし、植物とて、無尽蔵に欲望のまま、採取すればいいというものではありません。
植物もいいから動物も、というAll or Nothingというものではなく、自分たちが生きている上で、他者に思いやりを持ち、犠牲の少ない生き方を選択するべきであることは明白です。欲望の赴くまま、理由をつけて何でも許される社会がよい社会であるとはいえません。
「植物の権利を認めないのであれば動物の権利も認めない」という議論は、「植物の権利を認めないのであれば人権も認めない」という議論に発展させることができます。植物の権利を擁護しないことは、動物の権利を擁護しない理由にはなりません。

権利は義務とセットだと考えているので、アニマルライツは認められない。

まず、人間は、自然の法則に反し、動物が共存すべき環境を破壊し、動物を人間のために従事させ、動物の苦しみを無視し搾取しています。この質問(意見)はこれらのことを当然のことした考えのもとに成り立つ質問です。

現在日本人が当たり前のように教授している「権利」を思い浮かべてください。人間らしく生きる権利 他人に財産を侵されない権利 職業を選択する権利 裁判を受ける権利 などなど・・・そしてもっと基本的な権利の中には、他人に命を脅かされない権利 誘拐されない権利 監禁されない権利 食用に繁殖させられ殺されない権利 人体実験に使われない権利、家族と暮らす権利 売買されない権利などがあります。現在、日本人にとってこれらは当たり前でことさら「権利」として言われるものではありませんが、現在でも人間は動物の命を脅かし、誘拐し、監禁し、食用に繁殖して殺し、動物実験に使い、親から子を引き離し、売買しています。

第二に、義務を果たせないことが権利を享受すべきではない理由にはなりません。重度の障害をもった人たちが権利を認められないと言えるでしょうか。こうした人たちを監禁し、安全性を確かめるための実験に使うことが許されるでしょうか。許されるはずがありません。

*注*動物の権利というのは、動物に人間のもつ全ての権利(例えば投票権や義務教育を受ける権利など)を意味しているわけではありません。

最後に、動物は地球上に置いてさまざまな役割を果たしていることを付け足したいと思います。

 
   
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