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 ANIMAL RIGHTS CENTER








犬の問題
不良飼い主による飼い犬への虐待への対応
行政による野犬駆除・猟銃による射殺計画の中止を!

猫の問題
のら猫のいのちを守ろう!第二次緊急署名
会報・「ARC LETTER」より抜粋した猫の問題
横浜市磯子区の地域猫飼育についてのガイドラインへの見解と質問
北の丸公園の猫たちへの虐待防止と不妊去勢手術についての申入書
北の丸公園のら猫問題の続報
猫の問題

※arcletterより。
☆今までに起こった猫の問題を会報誌から抜粋してみました。

23-9-808 maruyama-cho Shibuya ku Tokyo 150-0044 Japan
e-mail:arc@gb3.so-net.or.jp/アニマルライツセンター Tel03(3770)4098
FAX&動物情報BOX.03(3770)4099 NIFTY PXK06171 郵便振替00210-4-18536


 新事務所に移転し、いろいろな人たちが顔を出してくれます。
以前に比して、相当な活気がみなぎっているという感じです。
 
平成11年2月5日に嬉しいニュースが届きました。
            ペット詐取問題での二つの裁判(一つはだまし取られたBさんがだましとった岐阜県内のO親娘を横浜地方裁判所に猫たちの返還と損害賠償を求めた裁判、もう一つは、イヤガラセ的にO親娘がBさんと一緒にペット詐取を追及しているアニマルライツセンターらを「謝罪広告等請求」で岐阜地方裁判所に提訴した裁判)は、一昨年の十二月からどちらの裁判所で審議するかでストップしていました。
 この二つの裁判は、ほぼ同一の審議内容であり、横浜か、岐阜か、どちらで併合して行うのか、
がまず問題となっていました。横浜地裁はすでに横浜で行う、との決定を出していたのですが、
そうすると、岐阜地裁が「謝罪広告等請求」裁判を横浜地裁に移送する、との決定をしなければなりません。
その移送申立に『横浜へ移送する』との決定が1月30日付で出されたのです。

 少々堅い法律用語の文章ですが、全文を掲載します。

 

平成八年モ第1142号 移送申立事件
決 定
 申立人 アニマルライツセンター   川口 進
申立人               M.S
右 両名訴訟代理人弁護士      上本 忠雄
 相手方               O親娘
 右  訴訟代理人弁護士       武藤 壽
 右当事者間の当庁平成八年ワ第668号謝罪広告等請求事件について、
申立人(被告)らから移送の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。 
主 文
本件を横浜地方裁判所に移送する。

 

理 由
一 申立の理由の要旨

 申立人(被告)らは、「本件裁判の主な争点は、原告らが訴外B(以下、Bという)の猫を詐取したかどうかであり、右詐欺の事実が真実であるとすると、原告らが本件において名誉毀損であると主張している当該各文書の最も重要な部分については真実の犯罪事実を記載したものと言うことができる関係にある。

 仮に、原告らがB以外の人物から、多くの猫を預かりこれを真実里親に引き渡すなどの活動を続けていたとしても、少なくとも右Bとの関係で詐欺が成立するのであれば、各文書の主要な部分は名誉毀損を構成しないことになるから、その余の部分(つまり原告らが他にも多くの猫を詐取していたとする部分)については、右詐取との関係ではこれを基にした推測あるいは論評として許容できるかどうかの関係になるにすぎない。

 従って、本件の原告らの立証としては、Bの猫を原告が詐取していたかどうかこそが最大の課題なのであり、他に多くの猫を里親先に引き渡していたかどうかは、本件の名誉毀損文書の内容の真実性について全くの間接的な関係にあるに過ぎない。そして、その立証上の都合について、原告らは、関係証人が原告ら住所地近辺に居住するので、岐阜地方裁判所こそがこれら関係者の便宜に資するものであると主張する。しかし、そもそも名誉毀損に基づく損害賠償については、前述の通り名誉を毀損するという文書の内容が真実であるかどうかが最大の争点であり、従って、不法行為を構成しない旨の立証責任は、被告らに課せられた責任であり、本件での最大の争点であるBの猫の詐取に関しては、被害者であるBは横浜在住であり、しかもBが協力を要請して調査活動に従事した人物の多くは東京ないし横浜近郊に在住している。」と主張し、さらに「原告をB、被告をOとした、横浜地方裁判所民事第四部に係争中の別件事件(横浜地方裁判所平成八年ワ第3278号事件)では、本件争点となっている猫の引き渡し(主位的)、損害賠償(予備的)が先行して係争していることからも本件訴訟は、横浜地裁での訴訟に対する防御策として(つまり、横浜地裁の訴訟を岐阜地裁に移送させる口実として)提起させたと言う見方もあながち不当ではないし、本件名誉毀損の成否についても、最も重要な争点は、前述の通りBの猫を詐取した旨の事実が真実であるか否かということになり、それは、横浜地方裁判所での審理と全く重複することになる。」と主張して、本件を横浜地方裁判所への移送を求めている。

 

二 相手方(原告)らの主張

本件裁判の主な争点は、原告らが猫を詐取していたかどうかであるが、原告らの猫等の入手先、里親、本件において原告らが猫を渡していたS.M(愛知県稲沢市在住)など関係者、更に原告らの日常生活を証言する者などは、原告らの住所地周辺に居住するので、これら関係者の出頭の関係からも本件は岐阜地裁において審理がなされるべきである。

 

三 判 断

 本件訴訟の主要な争点は、被告らが適示した事実、すなわち「原告らは、多くの人を騙して犬猫を集め、業者に売り渡している」との事実が、真実か否かであるが、これを判断するための重要な間接事実として、原告らがBの猫を詐取したか否かの点が攻撃防禦の対象となることは疑いなく、そうだとすれば、本件の審議と別件事件(横浜地方裁判所平成八年ワ第3278号事件)の審理とは重複する部分が少なからずあり、書証や証人なども共通する部分が多いと考えられるから、同一の裁判所で審理することが当事者にとっても訴訟経済上も望ましく、平成八年法律第一〇九号による改正前の民事訴訟法第31条に規定する「著しき損害または遅滞を避けるための移送」の趣旨にも合致するものというべきである。よって被告らの申立を相当と認め主文の通り決定する。

平成10年1月30日

 岐阜地方裁判所民事第一部 裁判官  倉澤 千巌


 

 

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 以上ですが、この事件は、O親娘が里親さんが決まったなどと言葉巧みに、困っていたBさんの猫たちを東名高速道路小牧IC付近で引き取った。その後、いくつかの言動から不信感を募らせARCなどと一緒に返還を求めたBさんに、引き渡し後11日目に同じ愛知県小牧市でO親娘は返還を約束しました。
 BさんやARCなど5団体がその場に行きましたが、O親娘は約束を守らず猫たちを連れていないばかりか、上記決定にも登場するS.M(この当時17歳)に責任を転嫁したり、言を左右したりで、猫たちはいまだに返還していない、という内容です。その後の、多くの人たちの調査と努力で判明したことは、O親娘の犬猫詐取は繰り返されており、しかもその背後に危ない人たちの影が見え隠れしてきたことです。
 担当していただいている上本弁護士の見通しでは本年3月ぐらいから実質審理が始まる、
とのことでした。一日も早い猫たちの無事返還と事件の事実関係解明並びに再発防止を
ねらいとして地道に取り組んでいきたいと思います。
 皆さんの、引き続いてのご関心とご支援をお願いいたします。

 

 

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猫を守る会文書1

 「猫獲り」による「猫」捕獲は許されるでしょうか?!

 「飼い猫」の捕獲は明らかに「窃盗」ですが、「野良猫」の場合は許されるのでしょうか?

 「飼い猫」と「野良猫」を区別するものは何でしょう?「刑法的」には、「所有権(飼い主がいるかどうか)」の問題にすぎません。日本で「野良猫」の「所有者」になる場合、拾って自分のものだと宣言するだけで充分だそうです。それは「猫」を「物」とみなしているからです。「野良猫」は、所有者がいないという理由で様々な迫害を受けます。地域によっては、公的機関ですら「猫」を駆除の対象にし、動物業者に捕獲を依頼、或は払い下げしています。これは、巷に暗躍する「猫獲り」と変わりありません。

 動物の「飼い主」であるためには、「所有」するだけではなく、健康や安全を保持し習性に留意する等、人間が動物の福祉に対する「責任」を負わねばなりません。それは、「動物の保護及び管理に関する法律、第4条」に謳われています。この法律は、第2条「何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」と、動物の殺傷や虐待を禁じています。そして第13条は「猫」等を「保護動物」に定め、それらの虐待に対する罪科を課しています。この法の精神を正しく理解するなら、「猫」を「保護あるいは飼養以外の目的で」捕獲する「猫獲り」は「犯罪者」以外の何者でもありません。

 アメリカのある郡では、野良猫に15日以上餌を与えると人は飼い主と看做されます。又、外に出す猫には避妊/去勢を義務づけたり、避妊/去勢していない野良猫に餌を与えることを法律で禁じているところもあります(秋葉子「動物ジャーナル」1996年冬号)。アメリカにはAlley Cat Allies(野良猫同盟)という、野良猫に避妊去勢手術を施したり里親探しをするボランティアのグループが全国的に活動しているという記事が、雑誌「シンラ」に載っていました。今日の都市社会で、人間の助けなしに生きて行ける「猫」など皆無に等しいでしょう。

 日本でも、そうした活動を積極的に進めている個人や団体が少なからずあります。こうした社会の善意に支えられた「猫」はもはや「野良猫」ではありません。このような「猫」は、住むべき家がなくとも、道義的には「飼い猫」と看做すべきでしょう。

こうした「猫」は、震災後の阪神間に沢山います。「いました」と言ったほうが正しいかも知れません。多くの全く無防備な「家のない猫」は勿論、「家のある猫」も共に、卑劣な「猫獲り」に略奪されたのです。「猫獲り」は、「窃盗」を犯すのみならず「動物の保護及び管理に関する法律」を蹂躙するのです。三味線用皮革業者が相手の「猫獲り」は、「飼い猫・野良猫」を区別無く捕獲し、その日の内に「殺す」ことが確認されています。

実験動物用に捕獲された「猫」は直接、即殺されないにしても、それらの多くは1週間程度で「輸送や収容によるストレスのために死ぬ」と、元飼育員は証言しています。

これらの猫は、正確な由来に関する情報もなく、法的機関による何の監督も受けずに、実験動物として商品化され、消費されます。三味線用皮革業者であれ、実験動物業者であれ、「猫」を「物」と看做す「意識」に変わりはありません。このような結果をもたらす捕獲行為は動物虐待以外の何物でもありません。私たち「猫を守る会 AcpA Hyogo」は、「猫獲り」を断じて許しません。            猫を守る会 AcpA Hyogo 代表 横野仁宣


 

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『猫取り業者追及の2グループ「猫を守る会」「動物と連帯する会」と
部落解放同盟との公開論争について』、資料公開とARCの見解

 

 いつもいろいろな情報をもたらして下さる富山の北日本動物福祉協会の村田さんから、「猫を守る会」(神戸市・横野仁宣代表)と部落解放同盟中央本部(辻本正教文化対策部長)との間を往復している『公開質問状』2通が届きました。昨年夏頃から、近畿方面で「猫取り」業者追及を相当数の人々が精力的に行っており、週刊誌などでも取り上げられていること、それらが三味線製造業者との関連で取りざたされていること、などは情報として把握しておりました。しかし、いわれのない社会的差別と一貫して闘ってきた部落解放同盟中央本部・文化対策部がその三味線業者(橋本さんといいます)を擁護する論陣(本年1月19日付 解放新聞第1854号主張)を張るばかりでなく、猫捕獲業者すら擁護するに至り、ついに1月26日付で、猫取り業者追及の急先鋒の二グループ、「猫を守る会」並びに「動物と連帯する会」(広川夏樹代表)に公開質問状を送付するに至りました。

 ここにいたり、当センターとしてももはや傍観することは許されない状態に入ったと判断し、諸文書類を集め、関心のある人々に公開することとします。

 

 この問題に対する、アニマルライツセンターの基本的な見解は、以下の通り、明快です。

@保護動物である猫を箱罠で捕獲し、殺害し、その皮革を奪う、という行為を擁護することはできません。この場合、捕獲される猫が飼い猫なのか、野良猫なのか、は問題ではありません。

Aそれらの猫捕獲行為が、現在の「動物の保護及び管理に関する法律」(以下、動管法)第13条違反かどうかは、議論の余地が全くないわけではありませんが、この法律の制定趣旨からすれば野良猫の皮革取得目的での捕獲殺害を許容しているとは思えません。

B動物の生存権を擁護する活動と社会的な差別をなくする活動は、基本的に同じ基盤をもっており、対立的な構造になりえないと確信しています。にもかかわらず、あたかも対立的に表面化している今日の状態は、猫取り業者追及行動並びにそのキャンペーン活動の中で、部落差

 

別を助長する言動或いは社会的に根強く残っている部落差別意識に依拠しようという言動があったのだと思います。このことは、動物問題に関与するすべての人々は、動物問題を単なる動物愛護という側面だけを強調するのではなく、社会問題として動物問題をとらえる重要さを示しているのだと思います。この視点から、猫取り業者追及行動並びにそのキャンペーンがどう行われてきたか、どう行われているのか、さらにどう行われようとしているのか、をとらえ返す必要があると言うことです。

Cアニマルライツセンターは、岐阜県のO親娘によるペット詐取問題に取り組んでいます。今後、動物の生存権、虐待されない権利の擁護、並びに部落差別意識を助長しないという原則的立場を堅守して、野良猫は地域猫であり、ホームレス猫であり、三味線皮革の材料ではない!との視点で論争に関与していきたいと思います。

 みなさんのご意見をお寄せ下さい。

 

ここに、以下の情報をFAX動物情報BOX(03−3770−4099)に登録し、公開します。関心のある方は自由に取り出して下さい。

      BOX番号21 「お好み書き」(大西純責任編集ミニコミ誌 97年7月号該当個所全文)
      BOX番号22 「猫を守る会」から奈良県教育委員会文化財保存課宛の 質問状
      BOX番号23部落解放同盟機関紙 解放新聞1月19日付 「主張 三味線と皮の文化を守るために」
      BOX番号24部落解放同盟から「猫を守る会」宛の公開質問状
      BOX番号25部落解放同盟から「動物と連帯する会」宛の公開質問状
      BOX番号26 「猫を守る会」横野さんから部落解放同盟宛の「お答え」


この問題に対する、アニマルライツセンターの基本的な見解は、以下の通りです。

 

@保護動物である猫を箱罠で捕獲し、殺害し、その皮革を奪う、という行為を擁護することはできません。この場合、捕獲される猫が飼い猫なのか、野良猫なのか、は問題ではありません。

 

Aそれらの猫捕獲行為が、現在の「動物の保護及び管理に関する法律」(以下、動管法)第13条違反かどうかは、議論の余地が全くないわけではありませんが、この法律の制定趣旨からすれば野良猫の皮革取得目的での捕獲殺害を許容しているとは思えません。

 

B動物の生存権を擁護する活動と社会的な差別をなくする活動は、基本的に同じ基盤をもっており、対立的な構造になりえないと確信しています。にもかかわらず、あたかも対立的に表面化している今日の状態は、猫取り業者追及行動並びにそのキャンペーン活動の中で、部落差別を助長する言動があったのだと思います。このことは、動物問題に関与するすべての人々は、動物問題を単なる動物愛護という側面だけを強調するのではなく、社会問題として動物問題をとらえる重要さを示しています。この視点から、猫取り業者追及行動並びにそのキャンペーンがどう行われてきたか、どう行われているのか、をとらえ返す必要があると思います。

 

Cアニマルライツセンターは、岐阜県のO親娘によるペット詐取問題に取り組んでいます。今後、動物の生存権、虐待されない権利の擁護、並びに部落差別意識を助長しないという原則的立場を堅守して、野良猫は地域猫であり、ホームレス猫であり、三味線皮革の材料ではない!との視点で論争に関与していきたいと思います。 


 

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猫を守る会文書2

「猫獲り」と「動物の保護及び管理に関する法律」

 

 

 私たちが先ず認識すべきことは、猫や犬などの「保護動物」を保護以外の目的で捕獲することは「動物の保護及び管理に関する法律」の違反だということです。この動物虐待に対する法律が制定された背景には、動物を物として扱うことに矛盾、不合理あるいは倫理的な問題があり、動物の生命を尊重しようとする考えがあるからです。20年以上も前(1973年)に、そうした社会的な要請により生まれた法律が実質的に行使されず、いままで蔑ろにされてきたことは行政の怠慢あるいは民意に対する背信と言わざるを得ません。

 飼猫の捕獲は刑法第235条の窃盗に当たります。飼猫は人間の財物と看做されるからです。飼猫の窃取の場合、放し飼いを理由に占有離脱だの所有者の管理責任の放棄だの、猫獲りを弁護する警察官がいまだにいたりしますが、そのような法的根拠は一切ありません。早稲田大学法学部杉山晴康教授によると、飼育動物が一時的に飼主の手から離れていても、元に帰れる状態にあるなら、所有権は依然として及んでいると判断されると、同じく数十年も前に既に判例として結論が下されています(捨猫防止会会報、1978年5月)。私たちが信念を持って「猫を守る」ために、以上のように猫獲りを犯罪として明確に認識する必要があります。そして犯罪抑制の手段として法律が有効に機能するよう万全を期するべきでしょう。

猫獲りの背後には、皮革業者や実験動物業者がいます。そして前者には三味線業者、後者には大学医学部、病院、あるいは製薬会社などの研究者がいます。こうした事実は既にマスコミで報じられていますから皆様もご存じと思います。私たちの猫の運命は、猫獲りだけではなく、この直接手を汚さない者らの手に握られているのです。この問題に対して、私たちは何ができるでしょうか?

 先ず、三味線について考えてみましょう。この三絃楽器は、日本が200年以上の歴史を誇る所謂伝統芸術の産物です。また、三味線の胴に張られる皮のために無数の猫や犬が殺されてきたのも歴史的事実です。犬や猫は三味線という製品に対する単なる素材として扱われます。三味線には四つと呼ばれる(乳首が四つ見えるからか)猫の皮の方が犬皮(けんぴ)より好まれるそうです。また上質の皮を製造するために、野良猫よりも人に大切に飼育された傷のない猫が求められます。三味線一挺を作るのに胴という共鳴部の裏表二枚の皮が必要で、一匹の猫から二枚の皮が取れるそうですが、必ずしも一挺につき一匹で足りるというわけではなく、品質や張り方使い方によってすぐ破れる場合もあり、何れ張り替えなければならない消耗品なのです。大阪は三味線の町として古くからよく知られています。曲亭(滝沢)馬琴という1800年代の読本作家が、大阪に犬や猫が少ないのは三味線の皮にされるためだろうかと旅行記に書き残しているそうです。もっと最近では32年前、生活がある程度安定し、この楽器に対する需要も増えたのか、地元大阪で猫を獲り尽くした捕獲業者が東京に大挙して押し寄せ、猫を捕りあさり始めたので、被害者たちや動物愛護関係の人たちが団結して都の警視庁で大阪の捕獲業者らと対決するという事件がありました(朝日01/02/65)。この時は被害者たちの勢いに圧倒され、業者らは猫を捕らないと一旦は約束したのですが、口だけに終わり、数年後には大阪の暴力団による猫獲りが以前にも増して現われるようになりました。拡がるばかりで一向に止む気配のない猫さらいの横行に堪らなくなった都民が1971年に「猫とり被害者の会」を結成し、警視総監に猫獲りに対する厳重な取締と処分を申し入れています。この時も三味線業者はノラ猫だけを取るように検討していると言っていました(読売新聞11/18/71)が、猫獲りが相次いで逮捕されても、不起訴処分になるという状態でした(東京新聞02/06/72)。

 1971年当時の三味線の需要は同記事によると全国で年1,000挺で、決して大きくはないのですが、前述のように必ずしも一挺につき一匹で足りるというわけではなく、東京での狂気じみた猫狩りの示す通り、実際はその10倍以上の猫が必要とされたのではないでしょうか。民謡ブームが去った現在でも三味線の需要は年2,000〜3,000挺と言われ、ほとんど犬や輸入猫が使われると業者は言っていましたが(週刊朝日12/20/96)、三味線業者による猫捕獲が相変わらず行われていることは、最近の新聞(読売3/20/97;朝日4/30/97)の報道によっても問題にされました。また、動物実験用猫の需要の増加もあって猫獲り事情は改善されるどころか益々ひどくなって現在に至っているようです。ただ、他の都市でも猫が増えたため、被害が東京だけに限られなくなったようです。最近では特に2年前の阪神大震災のために住む家や飼主を失った猫たちが集中的に猫獲りの餌食になるという忌まわしい事態を私たちの地域に招きました。

 猫をさらって三味線化することは、現行の「動物保護法」違反は言うまでもなく、刑法上の観点では飼猫の場合、窃盗、器物損壊、又贓物故買に問われるべき犯罪なのです。猫獲りが特にこの関西を根城に集中してきたのは、堺を通じて琉球より蛇皮線が伝来し三味線として発達したと言われ、大阪に皮革業者が多数存在し、猫の皮を欲しいままにするという文化的な口実があるからです。私たちは、三味線がこのような形で文化産物として継続することを受け入れられません。「伝統文化」というものは、単に物理的な時間の経過ではなく、人間の精神的な成長が技術に反映されたものだと考えるからです。たとえ現在の三味線が構造的に完成されたものであっても、家族として愛する猫を、あるいはあまりにも身近に私たちと関わりのある動物を殺して得るものは、文化的産物の名に値しません。

 三味線は罪のない動物の生命の略奪により成り立っているのです。猫や犬の自由を奪い殺害することは、私たちの仲間に対する裏切り行為です。私たちに、このような楽器が必要でしょうか?私たち人間が他の生き物と共にこの地球に生きることができるのは、人間としての知恵を他者を殺すためではなく生かすために用いることができるからです。三味線は、現代の技術で動物の皮革を用いずとも作れるはずです。どうしても皮を用いる他工夫する能力に欠けるなら、交通事故や病気などで一生を終えた動物の死体を利用すべきでしょう。

 次に、動物実験の場合は三味線のように古い伝統がなく、医学のための科学的研究という、一種の洗練されたイメージがありますが、同様に血生臭い動物虐殺の歴史を重ね、動物を消耗品として扱ってきた事実は過去も現在も変わりありません。日本実験動物学会の調査によると、一年に実験用に供された猫の数は15,000に上り(1989年)、内輸入及び自家繁殖等の猫は9,000匹と言われ(1991年)、申告によるもので事実確認は不可能ですが、少なくとも残りの6,000匹は由来不明ということになります。

 実験動物業者は、合法的な企業体として全国規模の組合に加盟した会社が約30ケ所あります。その中で代表的な関西地方所在のK社の動物飼育場を、私たちは今年1月に訪問しましたが、約50匹ぐらいの猫(普段はその倍ぐらいいるらしい)が収容されていました。社の説明によると、九州や瀬戸内海の離島の猫を捕獲してくるそうで、近隣の猫はいないということでした。猫たちは外に出たがって啼くものが多く、人間に対して敵意を見せるような野良風の猫は見かけませんでした。

 また、私たちが同じく5月に訪問した実験動物業者Hは、単独で猫を専門に捕獲し、収容施設を持たず直接に国立病院や公立の医科大学に販売していますが、近隣の市街地では捕らずに、愛知県や愛媛県の町村役場からの依頼で野良猫を捕獲して関西に連れて来るそうです。また前述のK社は和歌山県の保健所から払い下げを受けているとも、品薄の場合は自分の猫をK社に都合することがあるとも言っていました。

 彼等の言い分を鵜呑みすると、少なくとも飼猫を捕獲していないことになりますが、実際のところは不明です。捕獲業者にとって野良猫は法の網目を抜けるための口実に過ぎません。動物実験の場合も同様に、健康で従順な実験対象が求められることから、飼猫が密猟の標的にされます。こうして医学の研究という名目で、私たちの仲間に対する犯罪行為が暗黙の了解の下で繰り広げられるのです。同様な記事が6/6/97号の週間朝日に報告されていました。

 また今月の1月から2月にかけて、猫獲りの被害に遭った知人たちと私を含める三人で、北海道、九州及び沖縄以外の全国の大学医学部及び医科大学に私たちの失踪猫に関する問い合わせの手紙66通を送付しましたが、その内19の関係機関から回答がありました。私たちの猫に関する情報はなかったのですが、貴重な意見を得ました。19中の9校が、「由来不明な猫を購入しない」方針を貫いているということでした。その根拠として:(1)実験用に繁殖された輸入猫を購入している;(2)長年信頼を培った業者から実験用に繁殖された猫を購入している;(3)府県や個人から猫を譲渡してもらっている、というものでした。(1)の場合は公式な輸入書類があれば少なくとも国内の猫でないことが証明されますが、(2)と(3)に関しては、証明され得る客観的な事実に基づかない限り「由来不明な猫を購入しない」裏付けとして満足の行くものではありません。何れにしても、動物実験施設関係者は、刑法的な観点からのみ動物の購入に対して配慮しているということです。それでは、捨猫、野良猫は勿論、飼猫も本当に猫獲りから守ることはできないのです。繰り返しますが、捕獲業者にとって野良猫は法の網目を抜けるための口実に過ぎません。

 野良猫の所有者は不明で、従って野良猫の捕獲に対して窃盗罪を問う刑法は適用されませんが、個々の動物の生命を尊重する「動物保護法」は、飼猫野良猫の区別なく猫に法的保護を与えるべきものです。実験動物業者は、府県からの動物の払い下げに関して役所と結び付き、一種の法的免除を受けた習慣があるため、犯罪感覚が麻痺していると思われます。大学や病院あるいは製薬会社の研究者も、猫の使用に関して同レベルの意識を持っているようです。研究者にとって捨猫あるいは野良猫を利用することは、保健所に殺処分されるところの猫を医学のために役立てるという、資源の再利用として捉えているのかも知れません。近年になって猫獲りが急増した原因として、大多数の府県からの動物の払い下げが愛護団体の圧力によって廃止されたことが上げられ、その制度の復活を望む声が研究者からだけでなく一部の愛護関係者からも聞くことがあります。それで飼猫が被害に逢わなくなると考えるからです。それが本末転倒であることは、「動物保護法」は個々の動物の生命を尊重するということで明らかなはずです。府県による払い下げは、本法にある「動物愛護を目的とする公益法人その他の者に犬及びねこの引取りを委託することができる」という本来の趣旨と全く正反対の行為なのです。保健所や動物管理センターに収容される動物に関しては、引き取るという「保護行為」に責任を持ち、払い下げによる殺処分の延期ではなく、養育し里親を探すなど、本法に示される

「動物の健康と安全を保持する」方向で社会に還されるべきでしょう。

 現行の「動物保護法」は動物の身体を傷つけ消費する医学的利用を当然のこととして容認していますが、そのこと自体が矛盾なのです。この法律に首尾一貫性を求めるなら、少なくとも指定された「保護動物」を実験などの利用に供することを禁ずるべきなのです。また、動物実験の在り方に関しても、研究者の独断ではなく、本当に人間に必要であるのか、又そうした方法が人間として望ましいことか真剣に問うべきでしょう。医学の研究における生命尊重の精神が、他の人間以外の動物に対しても矛盾なく反映されるなら、例えば人間による献血や献体と同レベルのボランティアによって行われるなら、また病気や怪我をした動物を治療する過程で研究されるというなら、人道的に許されるであろうと思われます。

 私たちが信念を持って「猫を守る」ために「動物の保護および管理に関する法律」の本来の精神に則り「猫獲り」について考えてみましたが、それは「猫」だけの問題ではありません。本法は、私たちの社会的な要請により20年以上も前に、主として動物虐待の防止及び適正飼養の推進によって動物を保護するために生まれました。そして法律に頼らずとも、「生命尊重の精神」が守られる気風が社会に広まるよう期待されているのです。

動物虐待は「三味線」や「動物実験」等の功利的な動機からだけでなく、個人的レベルの精神的問題によっても犯さ

れますが、それぞれ生命の軽視という点で同一の意識が根底に流れていると思われます。法律は、私たちの平和で安全な社会生活を守るためにあり、また私たち人間として精神的な向上を果たすべき文化の証であると思われます。動物虐待は、私たち人間が弱者に対して犯す悲しい行為です。中でも猫は、社会における人間との関わりの親密さのため、皮肉にも入手が容易で有用な故に顕著な迫害を受けています。この問題に対して、私たちは何ができるでしょうか?猫を守ることは、単に動物を救うだけでなく、私たちの精神を育むことです。今こそ私たちは人間が動物に対する加害者である現実を冷静に見つめ、真の意味で動物を守る法律を獲得しなければなりません。

 

猫を守る会 AcpA Hyogo 代表 横野仁宣 

 


 

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猫を守る会文書3

奈良県教育委員会文化財保存課宛 質問状

 

〒630 奈良県奈良市登大路町30番地 奈良県教育委員会文化財保存課 安井宣彦課長 殿

 

拝啓、

時下、清栄のこととお慶び申し上げます。

この度は、情報誌「お好み書き」96年4月1日号の記事で三味線皮革業者橋本一弘氏が奈良県選定保存技術者に認定されていると知りました。これは、所謂「伝統的な」三味線の皮作りは、「猫密猟」によって成り立っていることを承知の認定でしょうか。

「動物の保護及び管理に関する法律」第2条は、「何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」と、動物の殺傷や虐待を禁じています。そして第13条は「猫や犬等」を「保護動物」に定め、それらの虐待に対する罪科を課しています。こ

の法の精神を正しく理解するなら、「保護あるいは飼養以外の目的」による「猫捕獲」は「犯罪」以外の何ものでもありません。猫をさらって三味線皮革にすることは、「動物の保護及び管理に関する法律」違反は勿論のこと、刑法上の観点では飼猫の場合、窃盗、器物損壊、又贓物故買に問われるべき犯罪です。「猫獲り」が猫の皮を欲しいままにしてきたのは、この三絃楽器が300年以上に及ぶ所謂日本の「伝統文化」という口実があるからですが、楽器に張られる皮のために無数の猫や犬が殺されてきたのも同様に歴史的事実です。私たちは、三味線がこのような「犯罪」を支える形で「文化」として継続することを容認できません。「伝統文化」というものは、人間の精神的な成長が技術に反映されたものだと考えるからです。

 たとえ現在の三味線が構造的に完成されたものであっても、家族として愛される猫を、あるいはあまりにも身近に私たちと関わりのある動物を殺して得られるものは、「文化」の名に値しません。三味線は、猫や犬の自由を奪い殺害するという、私たちの仲間に対する裏切りと暴力行為により成り立っているのです。そのような楽器が必要でしょうか?三味線は、現代の技術で動物の皮革を用いずとも作れます。どうしても本皮を用いたいなら、交通事故や病気等で一生を終えた動物の死体を利用すべきでしょう。

「動物の保護及び管理に関する法律」は、第一に動物の虐待防止及び適正な取り扱い等、動物愛護を通じて国民の間に「生命尊重」、「友愛」及び「平和」の情操を養うという目的に基づいて、今から24年前に制定されましたが、その目的を「猫密猟」は「殺生」、「裏切り」及び「暴力」によって全て否定します。御委員会は、この事実と奈良県選定保存技術者橋本一弘氏の関係を如何にお考えでしょうか。

 文書によるご回答を来月8日までに下記連絡先にお寄せ頂けますよう宜しくお願いします。   敬具

 

1997年7月28日 〒657 灘郵便局私書箱49号 「猫を守る会 AcpA Hyogo」 代表 横野仁宣


 

安井宣彦課長殿

 

拝啓、先般、奈良県選定保存技術「三味線皮制作技術」の件で、その「猫密猟」との関係に対し御意見を伺いましたが、8/16/97付けの御返事有難うございました。つきましては、その内容と当会の考え方との根本的な不一致を表明しなければなりません。

 三味線の歴史に対する御委員会の認識に欠落するものは、三味線の皮革のために300年以上に及び行われている猫や犬等「動物の虐殺」です。1973年に「動物の保護及び管理に関する法律」(この法律の制定には「猫密猟」の被害者の力が大きく関与しています)が発効して以来、「猫密猟」は窃盗、器物損壊等刑法上の問題だけでなく、猫や犬等を「保護動物」に指定し、それらの動物愛護の目的に反する捕獲及び殺害の違法性が確立されたのです。この法律の実際的効力には欠陥があり、改正すべき時が来て久しいのですが、法の精神自体は正しいものです。

 御委員会は皮師に「猫密猟」について問い合わされ、否定の回答を得られたそうですが、自ら進んで罪業を認める反罪者は希有です。私たちは、御委員会に対して犯罪の責任を問うものではありませんが、皆様の立場を明かにし、真の「文化の在り方」に対する真摯な検討と勇断を期待します。御手紙によりますと、皮師は「猫の確保」が困難で、「輸入」や「養殖」を検討しているとのことですが、正確には「猫の密猟」が困難になったということでしょうか?「猫の輸入」は、文化の質によりますが、「犯罪の輸入」を意味します。例えば、フィリピンにおいて、日本向け輸出を狙った「猫密猟」による飼猫の被害が頻発し、日本と同じように怒り悲嘆にくれる市民のことを伝える、昨年の

神戸新聞海外ニュース欄の記事があります。「猫の養殖」は、動物の習性を考慮する適正飼養の義務に反し又、皮革のために殺すことは、動物愛護の目的からはるかに乖離します。三味線皮革の制作に関して、猫や犬を殺すことによる方法を改めない限り、動物に対する犯罪をほう助する形で、この「文化」を擁護せねばならない矛盾は永遠に解消されないでしょう。動物の皮を人道的に取り扱うためには、既存死体の利用を考慮する他ないと信じます。交通事故や病気又は自然死による動物の献体を募ることです。それには、環境局や獣医科病院や飼い主の協力と共に、虚偽の死亡報告を防ぐ監督が必要です。

 私たちは、動物愛護の理念が「生命の尊重」に基づくことを理解しています。会として強制しませんが、個人的に献血、及び骨髄提供や臓器移植のための献体登録等を実行し推奨しています。「文化の価値」は時代と共に変化しています。御委員会は、「文化」の背景にある単なる時間的な量や技術の難度を評価するのではなく、人道的な「文化の質」を問題にして頂きたいと切望します。お考えを御都合の宜しい早い時期に下記連絡先までお寄せ頂けますようお願い申し上げます。               敬具

1997年8月20日 657灘郵便局私書箱49号 「猫を守る会 AcpA Hyogo」 代表 横野仁宣

 

 

630奈良県奈良市登大路町30番地 奈良県教育委員会文化財保存課 安川宣彦課長殿

 


「県選定保存技術三味線皮制作」及び「猫捕獲問題」について

 

拝啓、 平成10月17日付けのお手紙を頂きました。有難うございます。これは当会がお送りした8/20/97及び9/14/97付けの書状に対するお返事かと思いますが、御委員会にお尋ねした質問や要請に関して何ら建設的な御回答が見受けられません。

お返事によりますと、御委員会は『三味線皮制作技術という「技術」そのものを選定したのであり、原材料の入手等その職業的活動すべてではない』と、「技術」と「技術者」を区別してお考えのようです。その「技術」によって「技術者」が制作する「皮」は、かって私たちの家族、又は社会の仲間として生きていた猫や犬が誘拐・殺害された結果であることが明白な事実であるのに、貴方々はまだそのような詭弁を弄されるのでしょうか?

前回のお手紙で、「三味線文化」に対する御委員会の「展望」についてお尋ねしましたが、「現状維持」は、「犯罪の伝統」を黙認することです。そのような態度は、長期的展望に立った「文化の保存」に決して貢献することはないでしょう。私共は以前、交通事故や病気又は自然死による動物の既存死体の利用等、「技術者」が「犯罪者」にならないための対策を既に提案しました。それについて、皮制作者橋本氏を交えてお話し合いの場を持つことを御委員会は拒否されていますが、それに代る前向きな御意見があれば、是非お聞かせ下さい。お考えを御都合の宜しい早い時期に下記連絡先までお寄せ頂けますようお願い申し上げます。              敬具

 

1997年10月27日 〒657 灘郵便局私書箱40号 「猫を守る会 AcpA Hyogo」 email:YBH00602@niftyserve.or.jp

 

 

同封:"KANSAI TIME OUT"10月号通信欄コピー

追:本書状のコピーを以下の機関、団体にお送りしました(別紙)。

 


 

23-9-808 maruyama-cho Shibuya ku Tokyo 150-0044 Japan
e-mail:arc@gb3.so-net.or.jp BOX22/アニマルライツセンター Tel03(3770)4098
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1998年1月26日 「猫を守る会」 代表横野仁宣様

部落解放同盟中央本部

執行委員長  上田卓三

文化対策部長 辻本正教

公開質問状の送付について

 私たち部落解放同盟は、この間新聞などで報道されてきた「三味線皮」にかかわる問題についての論議をすすめてきました。とくに、猫皮の確保について、「猫を守る会」の横野・代表が指摘されている問題も含めて、私たち部落解放同盟の考え方をもとに、同封のような「公開質問状」をご送付させていただきますので、ご検討していただき、ご回答をお願いいたします。また、参考に「動物と連帯する会」宛質問状も同封しております。なお、この件につきましてのお問い合わせなどは、下記までお願いいたします。

 部落解放同盟中央本部・文化対策部(大西) 〒106東京都港区六本木3−5−11 

 

公開質問状

1 動物愛護という思想がひとつの潮流となっている。誰も抗しがたい人権スローガンが高度に政治的に利用され、相手を攻撃する道具となることがあるように、それ自身争う余地がないかに見える動物愛護主義も、捕鯨問題で露呈したように文明一野蛮の図式を重ねて新たな差別主義へと容易に転嫁する危険性をもっている。とりわけわが国では歴史的に被差別部落は人と動物の<いのちの現場〉と深く関わってきた。刑吏・葬送、死牛馬処理から食肉・皮革、野犬捕獲や動物遺体の取り片付けなど、いずれも固有の役務や専業とみなされた。そこから「悪人差別」を被ってきた。仏教がいう殺生を侵す者として非難されたのである。死と立ち合うことは最大のケガレでもあり、部落はまたケガレ人ともされたのである。その歴史的経験と記憶は今日まで生きている。愛護思想が動物虐待に反対し、動物にむやみな苦痛を伴わない死を選択する方向へ組織されることは歓迎するが、それが差別合理化の新たな理屈と結びつくことに対しては寛容になりえない。これがわが同盟の基本的な立場である。

 

2 九五年頃から阪神間で間題化した<猫騒動>は、愛護団体の働きかけによって新間・テレビ、インターネットを巻き込んでの一大キャンペーンの展開へと発展した。今回の発端は、町なかに仕掛けられた捕獲箱に飼猫がかかり、愛護団体がこれを問題化したことに始まっている。彼らは一方で捕獲箱を仕掛けた猟師を追跡し、家を確かめて張り込みを継続し、踏み込んで飼猫捕獲の有無を確認する実力行使の挙にでた。他方捕獲箱の設置現場への警官出動を執拗に要求し、箱に飼猫がいた事実をもって刑事告発を行なった。しかし数度の摘発によって発見された五○匹近くの猫の内で確実に飼猫が捕獲・連行されたと確認されたのは、九七年四月二九日大阪浪速区の一件一匹のみで、設置捕獲箱に入っていた九七年三月三日の西宮の場合、飼い猫は事前に救出されており、また猟師が名札をつけた飼猫は放すつもりであったと言えば通用する状況であった。浪速区の十数匹は多数の問い合わせにもかかわらず飼い主は現れなかった。にもかかわらず彼らは、行方不明となった飼猫の多数は猟師の罠にかかったとみなし、それは殺されて三味線皮屋へ売られたと確信して疑わない。この思い込みを前提としてマスコミに働きかけ、あるいは猟師への嫌がらせと営業妨害、皮屋に対する圧カをかけてきた。

 

3 この経過の中で我々が看過できないのは、第一に動物愛護という多数派が、猟師(猫捕獲人)や三味線皮屋という絶対少数派を非難・攻撃している点である。以下に述べるように、飼猫にとっての最大の需要先が動物実験施設であることは疑いもない事実であるにもかかわらず、ほとんどそこへは非難が向けられない。動物実験を問題にする場合でも需要先である病院・大学・製薬会社に対してではなく、最も弱い立場の猟師や供給先の皮揉し業者にその矛先が向けられるだけである。これを<いじめの構造>と言わずして何と言おうか。第二にマスコミの圧倒的部分は愛護団体を専らの情報源とし、動物愛護を玉条とする立場に終始して、双方の主張を公平に取材する最小限のルールさえ守っていないという点である。その影響は甚大で阪神間では「猫捕りが飼猫を狙って毎夜出没する」との噂が獣医を通して今なお広められ、いたずらに恐慌をきたしている。第三に愛護団体をつき動かしている論理と確信の底にある差別意識という問題がある。具体的には質問条項で指摘するが、少数例である飼猫捕獲を不当に一般化し非難する上においても、また捕獲猫の大半があたかも三味線皮となるかのごとき思い込みをする上においても、猟師・皮屋などの関係者が被差別部落であり、被差別民ならば飼い猫の捕獲も有り得るとの予断・偏見が働いているのである。

 

 

4 さて質問の意図を明確にするため、問題となっている諸点について最小限の事実確認をしておきたい。

〈1)野良猫を捕獲することは法的に何ら問題にならない。そして歴史的には猫捕りは職業として長い伝統をもってきたのである。戦後に限っても猫害(料亭・池の鯉・金魚被害、糞尿、庭・畑荒らし等々)駆除の要請を受けたり、大衆芸能を支える三味線皮の供給をしていくための職業として社会的に必要とされてきたことに違いはなく、今日でも自治体・保健所への猫駆除を求める住民の声は少なくない状況にある。もとより野良猫の捕獲に反対する考えがあり、老病事故死の猫のみの皮を使用せよとの見識のあることも承知している。現時点で双方のずれにどのような折り合いがつけられるかは関係者の英知に委ねられるとしても、歴史的に猫捕りが職業として長く自立した伝統(あえてこれを技術文化といってもよい〉と歴史をもっている立場を理解することぬきにそれは進展していかないであろう。

(2)猟師にとって飼猫はトラブルの元である。しかし現実には飼猫と野良猫の区別は明瞭ではなく、今回の最大の争点もまたそこにあった。野良猫であっても捕獲は虐待にあたる、とする論者もあるが、それは見解の相違であり、(1)で述べたとおり法的には争点を決して形成しえない。飼猫の判定の困難は首輪や鈴をつけていてもその時点で野良猫である場合、逆に首輪がなくても飼猫である場合もあって、捕獲箱に入った猫を選り分けることはできない。ここでは・飼猫に名札を義務づける・猟師を鑑札制とし、名札先への連絡を義務づける等のルール化によって間題は基本的に解決すると考える。

(3)三味線皮の製作に必要な原皮は・牡皮 ・三歳以上の成獣 ・野良猫(キャット・フードで育てられていない鍛えられた皮) ・癒えない傷がないこと ・和猫(とりわけ大型と長毛の洋猫は不適)、の条件を充たす皮である。すべての条件を充たす最高の皮は和猫の牡で野良猫のボスの皮である。

(4)九七年三月に倒産した富山の「ブルー十字動物血液センター」で飼育されていた、動物実験用の猫でも明らかになったように、ここで必要とされる猫の条件は ・健康(病気をもたない)であること ・人に馴れた扱いやすいおとなしい猫であること ・時に血統種であることである。いうまでもなく、捕獲猫でこれらの条件を満たすものは飼猫をもって第一とする。研究飼育が望ましいが、試算では一匹十五万円ともいう。そのため「猫ロンダリング」(『週間朝日』九七・六・六号)が横行する。つまり飼猫捕獲とその隠蔽が日常的に行なわれているのである。

 


「猫を守る会」代表 横野仁宣様

 

さて、「猫を守る会」(以下「守る会」)が、マスコミなどに送付されている文書のなかに、以下のようなものがあり、その内容にかかわって、公開質問をさせていただきます。

 

 資料1.奈良県教育委員会文化財保存課宛「質問状」

  第1回(97年7月28日付)

  第2回(97年8月20日付)

  第3回(97年10月27日付)

 資料2.(表題なし)「実験動物業者について」(年不詳)

 資料3.「猫捕り」による「猫」捕獲は許されるでしょうか(年不詳)

 

(1)「守る会」の見解の基本のひとつに「野良猫=飼い猫」論ともいうぺきものがあります。しかも、それが「守る会」の行動の基本になっているようです。「守る会」のこの論は二つの「根拠づけ」からなっています。

 その一つが野良猫と飼い猫は刑法的には区別がつかないとしている点です.「今日の都市社会で人間の助けなしに生きていける猫など皆無」であり、「こうした社会の善意に支えられた猫はもはや野良猫ではありません。このような猫は住むぺき家がなくとも道義的には飼い猫と見倣すべきでしょう」(資料3)と指摘しています。もう一つは、「個々の動物の生命を尊重する「動物保護法」は飼い猫・野良猫の区別なく猫に法的保護を与えるぺき」(資料2)としている点です。総じて、保護およぴ虐待禁止という点で、飼い猫と野良猫の間に区別はないとするのが、「守る会」の主張であるといえます。この点については、同封させていただいた「動物と連帯する会」への公開質問状でも

詳説させていただいておりますが、「守る会」の場合の特徴的な点は、「動物の生命を守れるか否かによって人間の精神性が問われ」(資料2)るとして、猫だけでなく、あらゆる動物の生命を尊重すべきであるとしているところてす。しかし、同法の保護対象動物が、牛馬・鶏など食用に供せられる家畜によって、その半分以上が占められていることからも明らかなように、この法律の精神と「守る会」の主張は決して両立するものではありません。

 実際、食肉用として牛馬を飼育することそのものが動物虐待になるのでしょうか。「命を育む心」(資料2)を云々し、であるからこそ「猫を守るべきjであると主張されるのですが、猫の食用になる魚や鼠はどうなるのでしょうか。食物連鎖の環のなかの一部のみを保護・偏愛することでは、問題は解決せず、ましてや人間もまた他の動植物の生命を取って生きています。私たちは、その責任と自覚のもとで、どのようにして動植物との共存のあり方を探り出していくのかが課題になっているのです。

 また、「守る会」の主張の特徴として、猫害への無自覚という点があります。「動物の「飼い主」であるためには、「所有」するだけではなく、健康や安全を保特し習性に留意する等人間が動物の福祉に対する「責任」を負わねばなりません」(資料3)と飼い主の猫への責任は云々しながら、「守る会」公表文のどこにも飼い猫が現に及ぼしている社会や他人に対する迷惑、あるいはその防止にかかる管理責任については、何らの反省も省察もみられません。現実に起こってきた猫害対策として、猟師という職業の存在が歴史的かつ社会的に認められてきたのではないでしょうか。「守る会」としての、猫害についての考え方、猫害に対する責任の所在についての考え方を明らかにしていただきたいと思います。

 

(2)「守る会」は、三味線皮製作者が奈良県が県選定保存技術者と認定したことについて、奈良県教育委員会に三回にわたり、その資格剥奪を求める文書を送付しています。しかも、この技術者への面会を要求しています。その論拠は、「動物の保護及び管理に関する法律」(1973年施行)をもとに、「動物愛護の目的に反する捕獲及び殺害の違法性が確立された」(資料1)とし、「この法の精神を正しく理解するなら「保護あるいは飼養以外の目的」による「猫捕獲」は「犯罪」以外の何ものでもありません」(資料3)ど主張しています。しかし、皮を取ることを目的にした(野良)猫捕りが、同法違反という意味での犯罪や虐待になるのでしょうか。実際、保護動物に指定されている牛馬・鶏は食用を目的に飼育されていますが、そのことが動物愛護精神に反すると摘発なり告発がなかったと同様に、猫皮がたとえ「殺すことによる方法」(資料1)によって得られたものであったとしても、その捕獲自体が過去に訴訟となったことは一度もありません。また、「守る会」は、猫皮の輸入を「犯罪の輸入」(資料1)であり、三味線皮製作者を「犯罪ほう助」「犯罪者」(資料1)としていますが、その根拠は、唯一「密猟」(資料1)であることです。すでに明らかにしているように、猟師も原皮業者も歴史的存在ですが、彼らが犯罪者集団として司直の対象になった事実はありません。なぜ三味線皮製作者が犯罪者であるのか、明確な論拠を示して回答していただきたいと思います。

 

この問題に対する、アニマルライツセンターの基本的な見解は、以下の通りです。

 

@保護動物である猫を箱罠で捕獲し、殺害し、その皮革を奪う、という行為を擁護することはできません。この場合、捕獲される猫が飼い猫なのか、野良猫なのか、は問題ではありません。

 

Aそれらの猫捕獲行為が、現在の「動物の保護及び管理に関する法律」(以下、動管法)第13条違反かどうかは、議論の余地が全くないわけではありませんが、この法律の制定趣旨からすれば野良猫の皮革取得目的での捕獲殺害を許容しているとは思えません。

 

B動物の生存権を擁護する活動と社会的な差別をなくする活動は、基本的に同じ基盤をもっており、対立的な構造になりえないと確信しています。にもかかわらず、あたかも対立的に表面化している今日の状態は、猫取り業者追及行動並びにそのキャンペーン活動の中で、部落差別を助長する言動があったのだと思います。このことは、動物問題に関与するすべての人々は、動物問題を単なる動物愛護という側面だけを強調するのではなく、社会問題として動物問題をとらえる重要さを示しています。この視点から、猫取り業者追及行動並びにそのキャンペーンがどう行われてきたか、どう行われているのか、をとらえ返す必要があると思います。

 

Cアニマルライツセンターは、岐阜県のO親娘によるペット詐取問題に取り組んでいます。今後、動物の生存権、虐待されない権利の擁護、並びに部落差別意識を助長しないという原則的立場を堅守して、野良猫は地域猫であり、ホームレス猫であり、三味線皮革の材料ではない!との視点で論争に関与していきたいと思います。


 

 

23-9-808 maruyama-cho Shibuya ku Tokyo 150-0044 Japan
e-mail:arc@gb3.so-net.or.jp BOX22/アニマルライツセンター Tel03(3770)4098
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「猫を守る会」から部落解放同盟文化対策部長への「お答え」

 

拝啓、貴同盟より1/26/98付けの公開質問状を受け取りましたので、お答え致します。

 

 猫捕獲は弱者に対する取り扱いの問題です。

 私たちも「愛護思想が差別合理化の新たな理屈と結びつくことに」対しては、貴方々と立場を共有します。しかしその思想が単に「動物虐待に反対し、動物にむやみな苦痛を伴わない死を選択する方向へ組織されること」と捉えられるなら、異存があります。私たち「猫を守る会」は、動物愛護の理念が「生命の尊重」に基づくことを理解し、動物の殺し方に配慮するだけではなく、「守る(命を育む)」という言葉に込められた積極的な考え方を大切にしたいと願っています。愛護団体が動物虐待に反対する根底には、弱者に対する取り扱いについての基本的な態度が含まれています。人間も動物も本質的に同じです。「猫を守る会」は主に猫等動物の救済に関心を持つ団体ですが、それは私たちが、愛情を注いでいた身近な動物の生命を不当に奪われた悲しみと憤りから結成されたからです。私たちは、動物が人間よりも弱い立場にあって人間の助けを緊急に必要としている存在であると認識しています。そうした認識は、人間自身に関わる差別意識を知る上に有効です。

「動物保護法」が既に存在し「児童保護法」がまだなかった、1800年代後期のニューヨーク市で目に余る虐待を親から受けていた一人の少女を、アメリカ動物虐待防止協会ASPCA(American Society for Prevention of Cruelty to Animals)が動物保護法に基づいて裁判に訴えて救い出しました。ここで興味深いのは、この少女は動物の一員として弁護されたことです。無防備で無力な如何なる動物とも同等な保護を受けるに値するという理由で判事が説得されたのです。

 人間の弱者に対する取り扱いの態度は,動物に対するそれに先ず表れます。私たちは、動物とのふれあいから人間自身の心の在り方を学ぶことができるのです。こうした考え方は、動物と児童の並行した保護活動に120年余りの実績を持つアメリカ人道協会AHA(American Humane Association)によって表明され、広く一般社会に認識されつつあります。猫捕獲は弱者に対する取り扱いの問題です。私たちは、猫捕獲において三味線も動物実験も同様の犯罪性があると看做しています。それは私たちの運動のチラシ(貴資料2)でも述べています。「猫を守る会」を組織する前から、実験動物業者の施設を訪問したり大学医学部などへ質問状を送りつけていました。その他、里親を装って騙し獲る「猫詐取」に対しても告訴や上申のために署名集めなどをしました。私たちが三味線関係の猫獲りを相手にしていると知ったのは、ずっと後のことです。昨年は、役所における猫捕獲箱の駆除目的の一般貸し出しや、山寺の猫狩り、個人の毒物による虐待等に対する抗議や行政介入の要請を申し入れし、ある程度の成果を挙げました。

 

 飼猫窃盗は歴史的事実です。

 飼猫窃盗は、東京都警視庁で大阪の捕獲業者と都民の飼主代表らが対決したと報じられたように(朝日新聞朝刊1/22/65)、少なくとも30年以上も前から犯罪性が訴えられてきた歴史的事実です。最近の確認事例は、実際の被害の氷山の一角に過ぎません。当時、吹田市でも箱罠に掛けられた自身の飼猫が発見され、軽トラの男が別の箱を持ち去るのが目撃されていました(読売新聞朝刊11/29/96)。豊中市でも、神戸市でも捕獲箱による飼猫盗難届けが出ていました。大阪市浪速区の事件では、実際は二人の飼い主に猫が返されたのですが、一人は被害届けの手続きを取りませんでした。西宮市の件でも、2匹の飼猫の内、首輪を付けていた1匹だけが認められたのでした。押収された猫の中から自分の猫に似ているからと言って引き取った婦人がいました。本当の飼い主であった可能性があります。被告発人である業者は、伊丹市や尼崎市でも箱罠だけでなく他の方法による捕獲現場を目撃されていました。

 私たちの仲間の猫オバサンは、震災でホームレスになった外猫たちを廃家で世話していたのですが、一日で殆ど全て獲られてしまったと言っていました。外猫であるため、目の前で捕獲人らによる奪取が起こっていてもどうしようもなかったそうです。仮設住宅にいる人たちの心の支えになっていた猫たちも獲られたことがあります。西宮の独居高齢婦人は、自分の子供同様の青い首輪を付けた白猫も消息を絶ち100日になると、悲しみを手紙で訴えていました。時を同じくして彼女の近隣から数々の同様な情報が寄せられていました。最近の猫は避妊/去勢を施されつつあり、発情による放浪癖も、自分の居留地域を遠く離れるものも少なくなっています。他人の飼猫が家に迷い込み、飼主の連絡先が不明の場合、家の人が拾得物として関係当局に届け出ることが一般市民の良識となっています。又その猫はそのまま新しい家で留まることがあるかも知れませんが、捕獲されたのでないなら、何時かもとの家に帰れるでしょう。

 飼猫失踪経験者の多くは我が猫を探すために、関係当局への連絡を始め、近所への聞き込み、貼り紙、新聞広告、折込チラシ等、考えられる限りの手を尽くしています。にも拘わらず、似たような状況下で多くの猫が至るところで消え、二度と帰らないのです。私たちに寄せられた夥しい猫捕獲被害情報は創作ではありません。

 

 猫捕獲は、飼猫・野良猫に拘わらず法的に問題があります。

 刑法(窃盗):飼猫が掛かるであろうことを知りながら罠を置くのは、犯罪的意図を構成する。

 動物保護管理法:捕獲業者は管理者ではない。猫駆除は「適正な取り扱い」ではない。「三味線皮の制作に必要な原皮は ・牡皮 ・三歳以上の成獣 ・野良猫(キャットフードで育てられていない鍛えられた皮)・癒えない傷がないこと ・和猫(とりわけ大型と長毛の洋猫は不適)、の条件を充たす皮である。すべての条件を充たす最高の皮は和猫の牡で野良のボスの皮である」とのことですが、・でないなら、殺されずに放免されるのでしょうか?貴方々自身「捕獲箱に入った猫を選り分けることはできない」としているではありませんか。3/20/97付けの読売新聞朝刊には、三味線皮革業者のガレージで13匹の猫の死体が発見されたとありました。その晩の収穫は全てその日の内に殺されると聞き及んでいます。全てが「和猫の牡で野良のボス」でありますまい。

「飼い猫に名札を義務づけ、猫とりを鑑札制にし、名札先への連絡を義務づけるなどのルール化によって問題は基本的に解決する」とお考えのようですが、捕獲業者は管理者ではありません。何故に営利目的の捕獲のために公的特権を与え、飼猫・野良猫を不自由な目に又は殺される危険に遭わせなければならないのでしょうか?

 

ここから当会に対する直接の御質問に回答致します。

 私たちの「猫獲り反対運動」のチラシ、「猫獲り」による「猫」捕獲は許されるでしょうか?!(貴資料3)とそれに続く「猫獲り」と「動物保護及び管理に関する法律」(貴資料2)について:

 質問(1) 「猫だけでなく、あらゆる動物の生命を尊重すべきであるとしているが、同法(動物保護管理法)の保護対象動物が、牛馬鶏など食用に供せられる家畜によって、その半分以上が占められていることからも明かなように、この法律の精神と守る会の主張は決して両立するものではない」、「食肉用として牛馬が飼育されていることが虐待になるのか」及び「猫の食用になる魚や鼠はどうなるのか」:

 「動物の管理責任」は、動物愛護精神に対立するものではありません。第1条及び第2条で同法は、国民の間に動物愛護の気風を招来し、生命の尊重、友愛、及び平和の情操を養うに資すること及び、動物による人の生命や財産の侵害を防止することを目的とし、それらの目的を遂行するための基本原則として「虐待防止」や「適正な取り扱い」を挙げています。第3条は「動物愛護週間」の設置です。「動物の管理責任」は、動物愛護精神に対立するものではありません。同法の言及する「動物の管理」とは「適正な取り扱い」であり、第4〜6条は「動物の適正飼養と保管」によって「動物の健康と安全保持」及び「動物による人命・財産の侵害の防止」を図るとし、第6条に至って、管理に関するやや具体的な指針として「飼養制限」という表現が見られます。第7条は「都道府県による犬又は猫の所有者又は拾得者からの引き取り」についてです。これは、同4項「都道府県知事等は、動物の愛護を目的とする公益法人その他の者に犬及びねこの引き取りを委託することができる」とあるように、「動物の健康と安全保持」に表れる「動物の愛護」を目的としています。第8条に関しても、「負傷動物等の発見者の通報措置」という「動物の健康と安全保持」が目的であり、不審な罠に掛けられ、自由を奪われた猫や犬等動物の発見においても、私たちは救出ないしは関係当局に通報する義務があると考えます。第9条は「繁殖制限」避妊・去勢についてです。第10条で初めて、「動物を殺す場合の方法」というように、殺さなければならない場合が想定されています。それが必ずしも殺処分を意味しないことは、同法の目的及び基本原則から明かです。第11条は動物の科学上の取り扱いについて及び、第12条は動物保護審議会についてです。第13条は、保護動物の虐待・遺棄を禁止し、保護動物を定めています。

 

 牛馬の食肉用飼育は、現在の社会的な慣習上虐待と看做されていません。それと動物愛護の精神とは、全く別の問題です。保護動物の指定は人間との関わりの深さや有用性によって決定されていると思いますが、「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操を養うに資する」とする同法が、功利的な欲求に基づく有用性ではなく、むしろ動物に心の交流を求めるという、精神的な有用性を強調していることは明かです。

 

 「食物連鎖の環の中の一部のみを保護・偏愛することでは問題は解決せず、ましてや人間もまた他の動植物の生命を取って生きている。私たちは、その責任と自覚のもとでどのようにして動植物との共存の在り方を探り出して行くのかが課題になっている」と言われるのは、その通りです。「猫の食用になる魚や鼠はどうなるのか」ということですが、食物連鎖というのは自然界に見られる現象であり、それを動物愛護・虐待の件で猫に質すべき問題でありますまい。

質問(2) 「猫害」及びそれに対する責任の所在:

 ◆動物の問題は社会全体の人間が負うべき責任です。動物の管理とは何でしょうか?野良猫・野良犬は元々人間に捨てられた動物が繁殖したという場合がほとんどです。子供の問題が大人の問題であるように、動物が加えるとする人間に対する被害は、社会全体の人間が負うべき責任です。猫が野良である状況は、捕獲して殺さなければならない十分条件を構成しません。南米のある国ではストリートチルドレンが万引きしたり汚いという理由で、店主がマフィアに金を払って子供を射殺させるという事件がありました。人間と動物の違いはありますが、野良猫の駆除も本質的に同じです。猫や犬をゴミのように処分しても、人間一般のモラルの向上に役立たないばかりか、児童の心の健全な育成に悪影響を与えます。再度、動物保護管理法を振り返って見ましょう。動物の適正な取り扱いという行為の主体である管理者とは、誰のことでしょう。それは、・飼主 ・引き取り主である行政 ・委託された愛護目的の公益法人その他等です。特定の飼主の不明な野良犬や猫たちは、行政又は委託された愛護目的の公益法人その他の管理下に在ると考えられるでしょう。「猫害」とは、管理者に属する問題であって、捕獲業者は何の権限を以てその代行ができると、貴方々は主張するのですか?捕獲者は営利目的のために、管理者に課せられた動物に対する「適正な取り扱い」を蔑ろにし、動物を罠に陥れ殺すのです。これが虐待及び犯罪でないなら、何としますか?

 私たちは虐待防止的な活動の他に、外猫の世話をしている仲間たちが中心になって、猫の避妊/去勢を実施したり、パネル展を開いて里親募集を行ったりしています。猫に餌を与え生かすだけでなく、一定の居留地域を保ち、近隣の迷惑を極力避けるようにするためであり、猫の絶対数が増えないようにするためです。私たちとも連絡のある、野良猫同盟ACA ( Alley Cat Allies )というアメリカの愛護団体が90年初め頃メリーランド州ボルチモア市で始めた、街の野良猫が健康で安全に住民と共存できるようにする運動があります。野良猫の棲息する居留地を公認化し、ここの猫たちに対する「捕獲・避妊/去勢・元に戻す」過程を軸とする一方、「飼い猫化」を進める努力で、今では全米3万5千を超す会員のネットワークを誇っています。

 このような「捕獲・避妊/去勢・元に戻す」方法が、欧米では野良猫の殺処分に代って、人道的且つ有効な管理手段として認識されてきています。イタリアのローマの古代競技場遺跡やフランスのパリ市公園が市民の野良猫保護・管理のために公的に開放されています。日本でも、行政レベルで野良猫の人道的管理を進めている市が神奈川県にあります。私たちもそうした動きを歓迎し、地元でも同様な制度が実現できればと願っています。

 

質問(3)「なぜ猫捕獲業者・三味線皮製作者が犯罪者であるのか」:

 猫捕獲の犯罪性は、刑法上の窃盗及び動物保護管理法によって証明されます。猫捕獲の犯罪性の論拠は、刑法上の窃盗に関してのみで十分であると考えます。「未必の故意」に関する早稲田大学法学部教授の論文(1978年特別号日本捨猫防止会会報掲載)にありますように、飼猫が掛かることが予想できるのにも拘わらず町中で箱罠を仕掛けることは、十分に犯罪の意図があるものと看做されます。動物保護管理法に関して、保護又は飼養目的以外の猫の捕獲は同法の精神に反するという論拠は、(1)及び(2)で既に述べました。猫捕獲を含め動物虐待に対する告発・訴訟が今までに殆どなかったのは、国民の間に一種の諦めや泣き寝入り、そして動物に関する法意識の低さがあったからです。文化の質は時代と共に変り、虐待に対する考え方も変ります。三味線皮は、猫や犬を殺すことでしか得られないのでしょうか?このことは、実験動物に対する倫理的な取り扱いにも反映されています。つまり、既にデータが在り分かっていることや代替法がある場合は、言い替えると、他の方法によってでは有効な結果が得られない場合でしか、動物の生体実験が許されません。欧米では既に10年程前から、こうした方針が法的に進められています。日本でも、このような考え方を理解し、自主的に採用する大学・研究所が出てきています。私たちが、奈良県の三味線皮制作保存技術者認定に関して県教育委員会に質問状を送付したことに対して、「資格剥奪を求める文書」と規定されていますが、私たちにそのような意図はありません。私たちは、三味線文化の継続の是非を問うのではありません。私たちが技術者を交えて教育委員会と話し合いを持ちたいのは、三味線文化の犯罪性を断つための方法を模索するためであり、それを選定者である同委員会文化財保存課の責任において実現されたいと考えるからです。非生産的な「資格剥奪」は、望むところではありません。

 他国からの「猫皮の輸入」は「犯罪の輸入」というより、我が国からの「犯罪の輸出」とすべきかも知れません。猫捕獲は犯罪に関わる危険性が極めて高い仕事です。仮に自国での違法性を免れたところで、その狭い視野から世界に向かってどのような差別解放運動の展望が開けて来るのでしょうか?

私たちは行政による動物の殺処分制度の廃止も願っています。私たちと協力関係にある他府県の愛護団体では、既にそのための運動を始めています。私たちの兵庫県でも「殺さない行政」が実現し、望まずして動物を殺さなければならない人たちにも「動物の生命を育む」喜びを分かち合えるようになる日が遠からんことを心から願うものです。敬具

 

 1998年2月9日 〒657 灘郵便局私書箱49号

「猫を守る会 AcpA Hyogo」

 e mail:YBH00602@niftyserve.or.jp代表 横野仁宣

 

本書状のコピーを他関係団体及び報道機関に送付させて頂きました。

 

23-9-808 maruyama-cho Shibuya ku Tokyo 150-0044 Japan
e-mail:arc@gb3.so-net.or.jp BOX22/アニマルライツセンター Tel03(3770)4098
FAX&動物情報BOX.03(3770)4099 NIFTY PXK06171 郵便振替00210-4-18536


参照:お好み書き(http://web.kyoto-inet.or.jp/org/livex/okonomi)

この問題に対する、アニマルライツセンターの基本的な見解は、以下の通りです。

 

@保護動物である猫を箱罠で捕獲し、殺害し、その皮革を奪う、という行為を擁護することはできません。この場合、捕獲される猫が飼い猫なのか、野良猫なのか、は問題ではありません。

 

Aそれらの猫捕獲行為が、現在の「動物の保護及び管理に関する法律」(以下、動管法)第13条違反かどうかは、議論の余地が全くないわけではありませんが、この法律の制定趣旨からすれば野良猫の皮革取得目的での捕獲殺害を許容しているとは思えません。

 

B動物の生存権を擁護する活動と社会的な差別をなくする活動は、基本的に同じ基盤をもっており、対立的な構造になりえないと確信しています。にもかかわらず、あたかも対立的に表面化している今日の状態は、猫取り業者追及行動並びにそのキャンペーン活動の中で、部落差別を助長する言動があったのだと思います。このことは、動物問題に関与するすべての人々は、動物問題を単なる動物愛護という側面だけを強調するのではなく、社会問題として動物問題をとらえる重要さを示しています。この視点から、猫取り業者追及行動並びにそのキャンペーンがどう行われてきたか、どう行われているのか、をとらえ返す必要があると思います。

 

Cアニマルライツセンターは、岐阜県のO親娘によるペット詐取問題に取り組んでいます。今後、動物の生存権、虐待されない権利の擁護、並びに部落差別意識を助長しないという原則的立場を堅守して、野良猫は地域猫であり、ホームレス猫であり、三味線皮革の材料ではない!との視点で論争に関与していきたいと思います。


動物たちとの穏やかな共存を!
We aim the Earth where we can coexist with animals・・・
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